坂内克光さん 平成19年3月31日退職
経歴
昭和35年入社、栃木県出身。15歳で中学を卒業とともに上京し、滝野川店石鹸部に配属され、その後本部仕入担当(石鹸部)→鳩ケ谷店グランドオープンのセルフ部チーフ→飯田信太郎社長の運転手→東十条店店長→柳崎店(現・東浦和店)店長→鹿浜店店長を歴任、60歳の定年後はエルダー社員として南浦和店夜間対応→(株)コモディイイダTRサービス リフォーム事業部部長を勤め現在に至る。
コメント
入社のきっかけは、現在の松澤社長をはじめ、栃木県出身の方が多く入社している会社ということからでした。
当時の休日は月1回、寮の門限は午後8時、9時には消灯という生活。門限近くの時間になると、寮長が竹刀を持って待っていたのを今でもよく覚えています。寮は1部屋15人部屋で、先輩社員の布団敷き、冬には湯たんぽを用意したり、風呂は薪を組んで火をつけていたので、当番制でした。共同生活のルールは厳しかったですが、そういう団体生活の中で、今のイイダの家族的なあたたかい環境ができてきたんだなぁと改めて感じます。
入社当時から今まで辞めたいと思ったことは1度もありませんでした。心の底から商売が大好きでした。滝野川店・宮本町店・幸町店という3店舗しかまだ無かった時代、レジも無く、対面販売であった時代から今のような大きな会社になることは、全く想像できませんでしたが、今思えば、本当に語りつくせない思い出がたくさん有り過ぎますね …。
運動会・慰安旅行・求人で沖縄県を担当したこと、社長に飛行機はぜいたくだと言われ各駅電車で片道20時間かけて行った四国への新婚旅行などなど。
イイダ生活50年、初代の社長から現在の4代目社長・役員の皆様、同僚、店舗の方々に支えられ、無事、満了の日を迎えられましたことを本当に感謝しています。ありがとうございました。
今後はしばらくゆっくりしてから、絵が好きなのでスケッチブックを片手に、小旅行にでも行きたいと思っています。もちろん買い物は、コモディイイダで(笑)。
◎これからのイイダを担う皆様へ
私は“社の信条”を、悩んだ時や困った時に読み返し、初心に戻って取り組んできました。その結果が、今日まで勤めてこれた大きな理由の一つだと思います。皆さんも、再度、この商人の原点ともいえる“社の信条”を読み返してみてください。